弘安時代(1278〜1288)の『醍醐寺文書』に「四国辺路、三十三所諸国巡礼」との記載があります。
ずっと昔は八十八ケ寺ではなく、遍路も『辺路(へじ)』という修行の道を意味する言葉を用いていました。
歩きお遍路にとって『焼坂トンネル』は歩道もなく車が間近に迫ってくる危険なトンネル。難所のひとつです。
現代は、暗くて狭いトンネルも修行の場となっているようです。車の方も気をつけて走りましょう。
岩本寺の周辺には土産物屋が何店かあり、門前町の雰囲気。
とある店内のお遍路マネキン。1番札所霊山寺を思い起こさせます。
仁王門には山号『藤井山』が掲げられています。
昭和53年に建立された本堂。もともと行基が『仁井田明神』の傍に建てた『福圓満寺』が前身とされています。
その後、弘法大師が仁井田明神を5つの社に分け、さらに末寺5寺を建立し、それぞれに本地仏を安置しました。
戦国時代の兵火に遭い享禄〜天文の時代(1528〜55)福圓満寺は廃寺となります。
仁井田五社の別当職(寺が神社を管理すること)にあった金剛福寺住職尊海法親王が、宿坊として岩本坊(現・岩本寺)を創建。別当職も岩本寺に継承されました。
江戸時代は、神仏習合の色濃い札所として大いに栄えました。
しかし明治時代の神仏分離令により、仁井田明神は分離され高岡神社となり、各本尊は岩本寺に遷されます。
その岩本寺は、廃仏毀釈により廃寺となってしまいました。
特に高知県は廃仏毀釈運動が激しかったため、ご本尊が八幡浜の吉蔵寺に遷されます。
岩本寺が復興してから一時期、37番札所が2カ寺並立していたこともありました。
弘法大師が5社5寺を建立した名残で、本尊は5体あります。
阿弥陀如来・観世音菩薩・不動明王・薬師如来・地蔵菩薩、それぞれのご真言を唱えます。
本堂には全国から寄せられた575枚の天井絵が飾られています。壮観です。
マリリン・モンローがやたら有名です。誰が描いたのでしょう?
9枚合わせ技もあったり、多種多様。
広大な寺領を失った岩本寺。ようやく、賑やかさを取り戻してきたようです。
大師堂です。右下にご注目。
納札入の辺りです。異様な感じがします。
ズームすると、変な顔をした不気味な柱が!!
その大師堂は『矢負地蔵』を祀っています。
殺生を止めたいと願うものの他に食を得る手段がなく、自分の胸を矢で射った狩人の身代わりになった地蔵菩薩です。
今は、立派な宿坊で御開帳されています。
大師堂の前には木造ながら円形というのが珍しい『歓喜天堂』が建っています。
本尊は大聖歓喜自在天で、主に商売繁盛にご利益が有ります。
仏足石があります。仏像が造られる以前は仏足石を拝んでいました。
超有名人、高田屋嘉兵衛の名が刻まれた遍路石がありました。
高田屋嘉兵衛が『海月庵』を建てたとありますが、その海月庵も廃仏毀釈により廃寺となりました。
捕らえられていたロシアから帰国した後、高田屋嘉兵衛も四国八十八か所にお参りしたそうです。
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