金剛頂寺の飛び地境内である不動岩です。明治初めまで金剛頂寺が女人禁制でしたので、女性はここで納経していました。
女人堂として賑わっていたそうです。
不動堂には本尊である波切不動明王が祀られています。
空海が著した『三教指帰(さんごうしいき)』(797年)に、室戸岬が青年空海の修行地であった旨が書かれています。
「阿波大龍嶽に登りよじ 土州室戸の﨑に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す」
司馬遼太郎の『空海の風景』で紹介されて以来、『御厨人(みくろど)窟』が空海修行の場とされていました。
しかし、近年の地質調査により約6m40㎝隆起していることが分かりました。
つまり、当時の御厨人窟は波打ち際でした。そこで最近、空海の修行場は不動岩だったと考えられています。
不動岩には、海に向かって2つの洞窟があります。
広い『西の窟』は、食事や就寝に使っていたと考えられます。
『東の窟』には虚空蔵菩薩の祠があり修行の場であったと考えられます。
退屈な大学生活を送っていた空海は、ひとりの修行僧から『虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)の法』の存在を聞かされます。
『虚空蔵求聞持法』を会得すればただちに全ての経典を暗記し意味内容を理解することができるという。
知的要求の高かった空海はすっかり魅入られます。
そこで過酷な四国修行に打って出るのです。
三教指帰に「明星来影す」と書かれているように、空海はここ室戸岬で神秘体験をします。
ついに、虚空蔵求聞持法を修得することにより、空海は覚醒しました!
三教指帰に、開眼した空海の高揚した心境が書かれています。
「世俗の栄華の全てが厭わしくなった。山林にたなびく霞や靄を愛でるようになった。せわしくしている暮らしを見てはむなしく、貧者や身障者を見ては因果の悲しみにくれる。目に触れるもの全てが、私に仏道を勧める。この風のように吹き流れる私の気持ちを誰が止めることができようか!」
空海はつまらないエリート養成だけの大学生活にピリオドをつけ中退し、世俗を離れて仏教にハマっていくのです。
三教指帰を著した後、空海の消息が全く分からなくなります。『謎の七年間』と言われる空白期間です。
もしかしたら四国修行に来ていたのかもしれません。空海が唐へ渡る前の充電期間ともいえるでしょう。
四国での苦行で空海が見た風景の片鱗がここにはあります。
青年空海を語る上でも重要なこの不動岩ですが、来場者も少なく寂しいです。
これから空海の資料館を作る予定だ、と金剛頂寺の方が息巻いて語っていました。
近い将来、賑やかなスポットに変容しているかもしれません。
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