時は延暦、弘法大師が恩山寺で修行している時、東の海に浮かぶ島に光るものを見ます。
舟で島に渡ると、美しい女神が現れ、一晩中、仏法について語り合いました。
空が白み始めたころ、女神は自らの正体を「太古よりこの海域を守る弁財天」だと明かし、白龍となって海へと去って行きました。
そこで大師が、弁財天を祀りました。弁天山にある金磯弁財天です。今は山ですが、昔は島でした。
よくできた浦島太郎の透かし彫りです。持っている箱は、弁財天から貰った宝箱でしょうか。
凝った彫刻もあります。なかなか立派なお堂です。
アコウの木が数本自生しています。自然分布ではわが国の北限と学会でも紹介されている貴重な木です。
幹からたくさんの気根(空中に出ている根)を出すのが特徴。
アコウの木の傍らに、弁財天祐七大明神の祠があります。祐七というタヌキです。
相撲が好きで、漁師を呼び止めては相撲をとり、勝つと魚を貰っていたらしいです。
弁天山の山頂には金磯砲台跡があります。1863年多田宗太郎(むねたろう)は自費で大砲8門を備える台場を築き、これを徳島藩に献上しました。
石像には穴があります。旗を立てていたのかもしれません。
海岸に降りられるロープを見つけました。
室岩が見えます。昔は兜岩と言われ、源義経がここに舟を集結させました。
そして、昔は島であった弁天山で軍議を開いたとされます。
室岩は大きな干潮の時に陸続きになるそうです。
海岸に向かうルートはいくつかあります。
海岸に抜ける人工で掘られたとされる洞窟です。今は立入禁止。
金磯弁財天の近くに兵隊不動がいます。
弁天山を探索すれば、数々の石像があります。
変な石像がたくさん。
金磯弁財天を中心に幾多もの石像、石柱が乱立しています。
お堂の裏にも怪しげな石柱が。
ふと足元を見れば何やら文字の入った石板が。油断なりません。
妙な祠も多数あります。大きな岩の下にあるこちらは、石で重しにして蓋をしています。
境内の一角で。近くの方々の集会場でしょうか。
なにやら、ごちゃごちゃと置いています。
もうついていけません。
静かそうな弁天山ですが、何かと賑やかなスポットです。
かつてこの弁天山で、弘法大師と弁財天が意気投合し、源義経が作戦会議をし、多田宗太郎が外国船を打ち払えと砲台を築きました。歴史の積み重ねがある場所です。
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