
出釋迦寺奥の院・捨身ケ嶽へ向かいます。

与謝野晶子・寛庭園があります。晶子が愛した桜、寛が好きな白椿が花を咲かせます。

柳の水があります。帰り路に寄って飲む人が多いです。

全参道に渡って落石注意。険しい道のりなのです。

かなり急勾配なのです。

世坂と言われます。施坂と云われた時もありました。お布施を施す坂。

この急勾配の坂を登れることに感謝なのです。

西行法師が腰かけた石。座りたくもなります。

稚児桜を超えて、さらに登りは続きます。

我拝師山の急勾配が分かります。

石灯籠が並ぶともうすぐです。

ようやく山門。ここで、たまに挙がる歓声。しんどい山登りを終え、歓喜するファミリーの姿がここにはあります。

手水舎の龍も喉がカラカラです。

本堂です。元々はここが出釋迦寺で、江戸時代に現在地まで降りてきました。

この高所で突く鐘は気持ちいいです。

行場入口があります。さらに高みを目指します。

この行場入口には警察予備隊時代の落書きがあります。

その前に岩倉大師に身の安全を祈りましょう。

岩倉大師の目前に、汗のベタベタを流す浴室があります。危険な感じ。

さぁ鎖場の登場です。登って行きます。

連続する鎖場。

ちょっしたロッククライミング気分を味わえます。

鎖場が終わっても岩が目前にそびえます。

どんどん登り続けると捨身尊像が見えました。

大師が真魚(まお)と呼ばれていた7歳の頃、岸壁から身を投げ出したのです。

「わが願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬのならこの身を諸仏に捧げる!」
真魚はここから飛び降りました。

釈迦如来と天女が現れ、大師は天女に抱きかかえられます。鐘楼の鐘にはその様子が描かれていました。

さらに登って頂上を目指します。

かなり登りました。

頂上に近づくとなだらかになりました。

頂上からの眺めです。地元の方がベンチに座っていました。たまに登ってくるらしいです。いい運動になります。

そこへありえない人物が登ってきました。サラリーマンです。
額から汗がほとばしり、紺のスーツはヨレヨレ、革靴もフニャフニャです。

「どこから来たのですか?」「東京です。ちょっと立ち寄ったんですが…」
ここは、ちょっと寄り道するような場所ではありません。

「トゥルルルルー!!」携帯がけたたましく鳴りました。サラリーマンは静かに携帯を切りました。

サラリーマンは、しばらくブラブラして「お先に失礼します」と下山していきました。
地元の方も「サラリーマンを見たのは初めて」と驚きの表情を隠せません。

隣の中山からの我拝師山の眺め。水墨画に出てきそうな山なのです。
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